鹿児島へ

少し私事なよもやま話。

怒涛の公演が落ち着き、
仕事とリハの合間を縫って、
母と鹿児島へ行って参りました。

鹿児島は昨年亡くなった父の故郷です。

生前、亡くなったら、
鹿児島に納骨して欲しいと母に言っていたそうで、今回、納骨を兼ねて、家族で最後の旅。

思い起こせば、以前、父と2人で鹿児島に行ったことがありました。
免許取り立てだった私が車を運転して、
霧島や知覧、遊覧船に乗って、色んなところを巡りました。
運転に必死でどんな会話をしたかは覚えてません。
でも、その時まだ元気だった父はたしかに助手席に座っていました。
それが、最初で最後の2人旅でした。

日常的に多く会話をする訳ではなかったけれど、
出かける時は必ず手を振って見送ってくれて、
仕事から夜遅くに帰ってきたら、
必ず「おかえり。お疲れ様。」
そう言ってくれました。

救急搬送される前日は、母の誕生日でした。

「お母さんのプレゼント買いに行けないから、買ってきて欲しい」

そう言われて、買ってきたプレゼントを母に渡した時、嬉しそうな母を見て、ベッドでニヤ〜っとしている父の顔はずっと忘れません。

人を喜ばせるのが好きな人でした。
本当に嬉しそうだった。
それが、私の見た父の最期の嬉しそうな笑顔でした。

亡くなって半年以上経った今でも、寂しさと後悔でふと悲しみに暮れることがあります。

出来ることなら、もう一度話したい。
身のある話じゃなくていい。
何気ない日常会話でいい。

声が聞きたい。

LINEをしても既読がつかない。

1年前まで当たり前だったことなのに、
もう二度と叶わない。

永遠の別れは残酷です。

でも、もう会えないのが現実です。
受け止めなければなりません。

病院でありがとうってお別れした時点でもう生前の父には一生会えないのが現実。

時間をかけてでもこの現実を受け止めていかなければならないのです。

とはいえ、たまには前向きになれないこともある。

父が亡くなってから何となくだけれど、"頑張って生きている"という感じで生きています。

今まで頑張ってなかった訳じゃなかったけど、今は別れと向き合う事に頑張らないと自分が生きててもいいと思えないんです。

親孝行出来なかった"償い"をしながら生きている。そんな感じでしょうか。
まぁ、だからといって死にたいとかは無いんですけども…。
死んだところで父に会える訳でもないですし。
上手く言えないのだけれど、人生いろいろですね。

体調を崩し、踊りも踊れなくなる日もありました。

でも、いむまでもこうしていられないんですよ。

また自然に生きていけるようにゆっくりと前に進んでいこう。

ずっと帰りたかった鹿児島に戻れた父が喜んでいることを願いながら、東京へ戻ります。

東京へ戻ったら、また日常に戻ります。
命ある限り、生きていかねば。

父、早かれ遅かれそっちに逝くから、親不孝者を温かい目で見守っててくださいな。
今まで本当にありがとうネ。

Shiori Tabata/海乃 素美礼

Show Dancer/Pilates Instructor/Photographer

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